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東京高等裁判所 昭和34年(ネ)17号 判決 1961年12月27日

控訴人(被告) 千葉県知事

被控訴人(原告) 成毛民也

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は、原判決を取り消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴人訴訟代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述及び証拠の関係は、被控訴人訴訟代理人において、「本件農地の買収時期たる昭和二十二年十月二日当時におけるその耕作者は被控訴人成毛民也である。」と述べ、控訴人訴訟代理人において、「自作農創設特別措置法は、その第二十八条に先買の制度を設け、農地の売渡しが適法になされた場合であつても、その後その農地の売渡しを受けた者又はその承継人が、当該農地を第三者に使用収益させたような場合は、それが特別の事由により適法な手続によつてなされた場合を除いては、他の農地について、いかに農耕に努めていようとも、そのようなことには何ら考慮を払うことなく、当該農地を先買できることと定めている。このように自作農創設特別措置法による農地の売渡しの相手方は、本来自作農となるべき者であることはもちろん、売り渡すべき農地の各々について農業に努めるべき者であることが要請されているのである。従つて被控訴人が本件農地以外の農地につき、いかに農耕に努めていようとも、それは本件のような農地の売渡しの適否には関係がないものというべきである。しかるに被控訴人は本件農地については農業に精進する見込のある者でなかつたのであるから、その売渡処分に重大な瑕疵のある違法が存しており、本件農地は被控訴人に売り渡された後、右農地に関する権利を被控訴人が第三者に移転したり、あるいは同農地の上に何らかの権利を設定したことはないのであるから、その売渡処分を取り消すことによつて直接第三者の権利、利益を害する虞は毛頭ないのである。しからば、適正な自作農の創設を実現するという公共の利益のまえには、その処分の取消しは当然であり、本件農地売渡処分の取消しは正に自作農創設特別措置法の本旨に沿う適正な措置であつて何ら違法はない。」と述べ、証拠として、控訴人訴訟代理人において、当審における証人郡司もとの証言を援用したほかは、原判決の事実摘示に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用する。

当裁判所は職権で被控訴人成毛民也本人を尋問した。

理由

当裁判所は、次の諸点を附加又は訂正するほかは、当審における新たな証拠調の結果をしんしやくして検討しても、なお原判決の理由に記載されているのと同じ理由で、被控訴人の本訴請求を正当と認めるので、ここに右理由の記載を引用する。(ただし、原判決理由二枚目(二四六丁)表七行目の「根本寅松」は「成毛寅松」の同三枚目(二四七丁)表二行目の「甲第四、五号証」は「乙第四、五号証」の同三行目から四行目にかけての「五月九日」は「五月二十九日」の、それぞれ誤記であるから、訂正する。)

附加又は訂正する点は左のとおりである。

一、原判決理由三枚目(二四七丁)裏七行目の「成立に争のない」から十、十一行目の「綜合すれば」までを「成立に争のない甲第五号証及び乙第一号証、原審(各第二回)及び当審における証人郡司もとの証言及び被控訴人成毛民也本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第十号証に、原審(各第一、二回)及び当審における証人郡司もとの証言及び被控訴人本人尋問の結果の各一部を綜合すれば」に、同四枚目(二四八丁)裏八行目から九行目にかけての「原告本人の供述(第一、二回)証人郡司もとの供述(第一回)及び」を「原審(各第一、二回)及び当審における証人郡司もとの証言及び被控訴人本人尋問の結果並びに」に改め、同十一行目の「郵便官署」から十二行目の「甲第六号証」までを削り、同行から同五枚目(二四九丁)の一行目にかけての「成立に争のない」の下に「甲第六号、」を加え、同裏十行目から十一行目にかけての「経営土地全般について見るときは」及び同六枚目(二五〇丁)表三行目の「並に売渡」を削る。

二、成立に争のない甲第九号証(国有農地等貸付証書)は原審証人白幡三郎の証言に徴すれば、原判決の認定を左右するに足りず、成立に争のない甲第八号証(「裁定書」と題する書面)その他の証拠によつても右認定を動かすことができない。

三、控訴人は当審において新たに、自作農創設特別措置法による農地の売渡しの相手方は、同法第二十八条の先買制度の趣旨からみても、本来自作農となるべき者であることはもちろん、売り渡すべき農地の各々について農業に努めるべき者であることが要請されているのにかかわらず、被控訴人は本件農地については農業に精進する見込のある者でなかつたのであるから、その売渡処分は違法であり、その取消しは当然であると主張するので、この点について考える。自作農創設特別措置法第三条の規定により買収した農地を売り渡すべき相手方は「自作農として農業に精進する見込のあるもの」でなければならないことは同法第十六条第一項の定めるところであり、その者は、その農耕する他の土地についてのみならず、売渡しを受ける当該農地についても農業に精進する見込みのある者であるべきことは同法条及び同法第二十八条に定めるいわゆる先買権の制度の趣旨からみても窺えるところである。しかしながら、原審(第一、二回)及び当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人が本件農地を郡司もとに耕作させたについては、昭和二十三、四年ころは被控訴人が横浜から郷里の現住所に帰り農業を始めてからあまり間もないころで、農業に不馴れなため手助けを必要とした事情があつたこと、郡司もととの間の甲第五号証による貸地契約ももとの懇請により、被控訴人がこれに応じてなしたもので、昭和二十六年限りこれを取りやめることにしていたこと及び当時被控訴人方の耕作面積は本件農地を合せ約一町歩余で農耕に従事できる者は被控訴人ら夫婦とその父母の四人であつたことが認められ、これらの事実に、被控訴人が、原判決認定のごとく本件土地につき仮処分命令を得て以来、本件土地を含む一町歩余(現在は交換等のため約七反五畝歩となる)の農地を耕作して良好な成績を挙げており、昭和二十三年当時においても本件土地以外の八反歩余の農地について耕作に努力し供出義務を完遂している事実を綜合すれば、被控訴人は、昭和二十三年の本件農地売渡処分当時においても、本件農地につき農業に精進する見込がなかつたとは必ずしも断定し難いものといわなければならない。従つてこの点に関する控訴人の主張は採用できない。

四、当審における証人郡司もとの証言中、原判決の認定及び右三の認定に反する部分は、それぞれその認定部分に引用の証拠に照らし採用しがたい。

五、本件農地が自作農創設特別措置法第三条第一項の規定により買収された農地であり、その買収の時期は昭和二十二年十月二日であつたこと及び同日現在においては被控訴人は日雇として訴外郡司もとを使用していたとはいえ、なお当該農地につき自ら耕作の業務を営む小作農であつたことは、引用にかかる原判決理由に示すとおりである。従つて被控訴人は同法第十六条にいう右農地の買収の時期において当該農地に就き耕作の業務を営む小作農であつたことにはなるけれども、被控訴人が右買収の時期以後において当該農地につき郡司もとのため使用貸借による権利を設定したこともまた右原判決理由に示すとおりであるから、それは該権利の設定が行政庁の許可又は承認の下になされたと否とを問わず同法施行令第十七条第一項第六号に規定する場合に該当するものと解すべく、同条第一項第一号の規定によれば、たとえ買収の時期において当該農地に就き耕作の業務を営んでいた小作農でも同条第六号に規定する場合には第一順位の売渡の相手方とはされないのであり、その他被控訴人は当時売渡の相手方を定めていた同令第十七条、第十八条のいずれの場合にも該当しないものと認められるから被控訴人を同令第十七条第一項第一号に定める第一順位の売渡の相手方に該当するものとしてなされた控訴人知事の本件農地売渡通知処分はこの点において違法であつたものとしなければならない。

しかしながら違法な行政処分であつても、そのかしが重大かつ明白であつて処分自体が無効である場合は別とし、その程度に達しないかしがあるに過ぎない場合は権限のある機関により取消されない限り処分は有効であつてその処分の内容に応ずる効力を生ずるものであり、その処分によつて関係者に新たな権利関係を生じた場合にはその新たに形成された法律関係はそれ自体として法律上保護されることを要するのであつて、殊にそれが行政上の不服申立の期間又は行政事件訴訟の出訴期間を経過することにより関係者からその効力を争う途の消滅した後においては、当該処分庁においても再度の考案によりたやすくこれを自ら取消すことは許されないものというべく、これを自ら取消すことのできるのはその処分を放置することが公益に反し、これにより生ずる社会的損失の程度が当該行政処分を取消すことにより関係者の被むる損失を考慮してもなお到底容認できないような場合に限るものと解しなければならない。

本件の場合においては引用に係る原判決理由に示すとおり被控訴人が郡司もとに本件農地を一時無償で使用させたのは昭和二十三年度から昭和二十六年度までであり、その事情も右判決理由に示すとおりであつて恒久的な賃貸小作を目的としたものではなく、かつ右無償使用については農地調整法所定の行政庁の許可又は承認があつたことを認めることのできる資料もなく、右使用期間の終つた昭和二十七年度からは被控訴人において右農地を回収し自ら耕作しているのであつて、農地の利用状況は同年度からは常態に復しており、本件農地売渡取消処分当時施行されていた昭和二十五年政令第二百八十八号自作農創設特別措置法及び農地調整法の適用を受けるべき土地の譲渡に関する政令第二条においても、このように所有者が一旦他人に無償で使用させたけれどもその後これを回収し自ら耕作の業務の目的に供している土地については過去の事実を捉えて強制譲渡の目的とするようなことはしていない。しかも本件農地売渡取消処分の告知された日であること当事者間に争のない昭和二十七年十月二十日の翌日には前記政令は廃止せられ新たに農地法が施行されているのであつて、農地法施行法第五条、農地法第三十六条の規定によれば右買収農地を新たに売渡すとすればその第一順位の相手方は新たに売渡す当時において現にその土地につき耕作の事業を行つている者で自作農として農業に精進する見込がある者となつているのであつて、それは本件訴訟に現われた資料だけによつて判断する限り被控訴人のほかにはあり得ないことになる。以上の諸点その他本件に現われた諸般の事情を考慮するときは、被控訴人が深く考えるところなく本件売渡通知処分のなされた年度から郡司もとに一時無償で貸与耕作せしめたがその後これを回復して自らこれを耕作し農業に精進している本件農地につき、売渡の処分後四年を経過し、かつ法の所期する農地利用の常態に復した後である昭和二十七年十月十六日に至つて敢て過去の事実に依拠し被控訴人に対する本件売渡通知処分を処分行政庁自ら取消さなければならないような公益上の必要は認め難いものとしなければならない。換言すれば本件農地の被控訴人に対する売渡通知処分にはかしがあつたけれども、その程度は本件取消処分を正当化する程度にまでは達しなかつたものというべきである。従つて控訴人のなした本件売渡通知処分の取消は違法である。

以上のとおりであるから、控訴人のなした本件売渡処分の取消処分は違法であり、これを取り消した原判決は相当である。よつて本件控訴はこれを棄却すべきものとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第八十九条及び第九十五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川喜多正時 小沢文雄 位野木益雄)

原審判決の主文、事実及び理由

主文

被告が昭和二十七年十月十六日附千葉県指令農開第四四六四号を以て為した別紙目録記載の農地についての売渡処分の取消処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求めその請求の原因として別紙目録記載の農地(以下本件土地という)は自作農創設特別措置法(以下自創法という)に基き昭和二十二年十月二日を売渡期日と定めて原告に売渡されたところ、被告知事は原告に対し昭和二十七年十月十六日附千葉県指令農開第四四六四号を以て何等の理由も付せずに本件土地に係る売渡処分を取消す旨の通知を発し、右は同月二十日原告に到達した。しかしながら右取消処分は違法な処分である。元来本件農地その他合計一町歩余の土地は原告の先祖代々の所有であつたが原告の先代寅松が債務の担保として訴外根本長勇に所有権移転登記を経由していたのであつて、原告は昭和二十年初め右債務を弁済して同訴外人より本件農地の返還を受け耕作を開始し登記手続の必要上昭和二十年九月十六日自作農創設維持事業承認申請書を提出し、その後更に昭和二十一年五月これを再提出して正に登記をするばかりになつた際自創法が制定された為め村農地委員会と話合の上形式上、自創法による買収、売渡の手続を経て所有権移転登記手続をなしたものであるのに、右経緯を何等顧みることなく、被告が本件売渡処分の取消処分をしたのは違法である。仮りに原告が国から単に本件土地買収当時の小作人として売渡を受けたものであるとするも原告に対する売渡処分には何等瑕疵がない。唯原告は訴外郡司もとを日雇として使用していた関係上、その懇請により、已むなく別紙目録記載第五乃至第八(原告の準備書面に第一乃至第四とあるのは成立に争のない甲第五号証に照らし誤記と認める)の農地を売渡処分後昭和二十五年一月一日より翌二十六年十二月三十一日迄一時無料で耕作せしめていたことがあるが、その期間と雖も原告において米の供出など一切の負担をしていたのである。而して原告は右郡司もとに対し昭和二十七年二月二十一日附を以て期間満了を通知したが、同人は右農地その他本件農地全部に立入り原告の耕作を妨害する虞があつたので原告は同人を相手取り、佐原簡易裁判所に対し立入禁止並びに耕作妨害禁止仮処分を申請して、申請通りの仮処分を得て執行を了し、昭和二十七年以来今日まで原告は唯一人で本件土地の耕作を継続し本件土地その他原告の耕作地一町歩余につき良好なる収穫をあげ供出義務を完了し来つているものであるから、一時過失により他人に一部の土地を耕作せしめたとしても現在原告は農業に精進する者であることに疑はなく、本件売渡処分当時においても農業に精進する見込あるものであつたと云うべきこと明である。之に反し郡司もとは大工を業とする者の妻で日雇などをしているもので農業を営むものではないのである。要するに本件取消処分は原告の土地を取上げんとする村農業委員一部の者の画策に原因する違法の処分であるから、之が取消を求める為めに本訴に及んだと陳述し、被告の答弁に対し原告は昭和二十五年一月一日以降昭和二十六年十二月三十一日迄の間郡司もとに別紙目録記載第五乃至第八の農地を耕作せしめた以外に同人に対し土地を耕作せしめたことはない。買受申込当時及び前記買収、売渡の時期に原告が本件土地を郡司もとに耕作せしめていたとの被告主張事実及び買受申込の時が昭和二十三年一月二十日売渡計画の樹立が昭和二十三年五月二十九日、これに対する県農地委員会の承認が同年七月二日であるとの被告主張事実は否認する。原告の買受申込の日は昭和二十二年一月二十日であると述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として、原告主張事実中、被告が本件土地を原告に対し原告主張のとおり売渡しをなし、原告主張の如く売渡処分の取消通知を発したこと、右取消通知が原告主張日時原告に到達されたこと並びに原告が本件土地を郡司もとに耕作せしめたことは認めるも、その余の事実は否認する。本件売渡通知の取消に至る経過並に取消が適法である理由は次のとおりである。

即ち本件土地は自創法第三条第一項第一号該当の小作地として、昭和二十二年十月二日訴外根本長勇から買収したものであるが、原告は昭和二十三年一月二十日瑞穂村農業委員会宛本件土地の買受申込書を提出したので、同委員会は同年五月二十九日原告に対する売渡計画を樹立し、同年七月二日千葉県農業委員会の右計画の承認を得て本件土地の所有権移転時期を買収日時である昭和二十二年十月二日と遡及して原告に売渡したものである(遡及売渡しは第三者の権利を害することがない以上有効である)ところ、原告は昭和二十二年九月頃訴外郡司もととの間に本件土地を原告が自創法による売渡しをうけるまで、耕作、供出名義一切原告の名で右郡司もとが耕作すること、原告に売渡処分完了の上は正式に同人と貸借契約を結ぶ旨の合意をなし、昭和二十二年秋稲作収穫直後から本件土地全部を同訴外人に耕作せしめていたのに拘らず、この事実を秘して前記買受申込をして、前述売渡処分をうけた上昭和二十四年改めて郡司もとと別紙目録記載の第五乃至第八の農地は右郡司に貸与する、その余の本件土地は前同様原告名義で郡司が耕作する旨の契約を結び、以来郡司もとに耕作せしめていたことが判明したので、売渡計画以前に既に自ら耕作することを止めて、自作農として農業に精進する意思もない原告に、本件土地の売渡処分をなすことは、自創法の精神に反する違法のものであるから、これが取消のため原告主張のとおりの取消処分をなしたものである、よつて被告のなした取消処分は正当であつて、原告の本訴請求は失当であると述べた。(証拠省略)

理由

本件農地が自創法に基き原告に対し昭和二十二年十月二日を売渡期日と定めて売渡されたこと及び被告が原告主張のような通知を以て右売渡処分の取消処分を為したことは当事者間に争がなく成立に争のない乙第四、五号証甲第一号証の一乃至八証人白幡三郎の証言を綜合すれば本件土地は自創法第三条第一項第一号により不在地主根本長勇から昭和二十二年十月二日を買収期日として買収せられたものであることが認められる。

原告は右売渡処分に先立ち根本長勇と原告との間においては本件土地の所有権の移転が為され唯所有権移転登記のため自作農創設維持事業承認申請手続中自創法が制定せられたので村農地委員会と話合の上自創法による買収、売渡の手続を経たに過ぎない旨主張するが原告本人尋問の結果(第一回中)中右原告の主張事実に符合する部分は措信し難く其の他の本件証拠を以てしては以下に認定する限度以上の事実は之を認めることが出来ない。すなわち前記甲第一号証の一乃至八及び証人根本長勇の証言とを綜合すれば本件土地は元原告先代根本寅松の所有であつたが同人は根本長勇の先代根本長に債務を負い、其の他の土地と共に之を根本長に売却したが、長は右土地を寅松に小作せしめ、根本長勇が家督相続後も同様の関係を持続していたこと、寅松が昭和十六年頃死亡した後、長勇は本件土地を暫く他に賃貸していたこと、昭和二十四年四月頃原告が東京から現在所に移転し本件土地その他を返して貰いたい旨申出でたので之に同意したが所有権の移転は自作農創設事業によつて為すこととし、昭和二十年四月頃本件土地その他を原告に引渡し耕作せしめたが所有権は長勇において留保してあつたところ、自創法が制定せられ、之により本件土地は買収せられたものであることが認められる。而して原告本人尋問の結果(第一回)と弁論の全趣旨を綜合すれば本件土地買収の時期たる昭和二十二年十月二日当時において本件土地を耕作して耕作の業務を営んでいたのは原告であつたことを認めることが出来る、そうだとするならば原告は右時において根本長勇より本件土地その他の使用を許され、右権原に基き之を耕作して農業を営んでいたものと云うべきであるから、本件土地の買収時期の小作人は原告であつたと云はなければならない。

而して成立に争のない甲第四、五号証、証人白幡三郎の証言とを綜合すれば香取郡瑞穂村農地委員会は昭和二十三年五月九日昭和二十二年十月二日を売渡期日として原告に対し本件土地を売渡す旨の計画を樹立し、県農地委員会の承認があつた後被告が之を原告に売渡したのであることを認めることが出来る。而して原告の買受の申込の日は成立に争のない乙第三号証には昭和二十二年一月二十日と記載せられてあるが、買受申込なるものは自創創法第十七条によれば買収した農地に対して為すものである旨規定してあるところ本件土地の買収期日は前記の如く昭和二十二年十月二日であり、売渡計画樹立の日は昭和二十三年五月二十九日であること、及び右申込書の申込年月日の「昭和二十二年」が印刷文字であることを併せ考えて見ると右「昭和二十二年」は「昭和二十三年」と訂正するのを忘却したもので、真実の申込の日は昭和二十三年一月二十日であると認めるのが相当である。

よつて進んで審按するに証人郡司もと(第一、二回――但し第一回中後記措信しない部分を除く)同白幡三郎、同郡司寅松の各証言、成立に争のない甲第五号証。証人郡司もとの証言(第二回)により真正に成立したと認める甲第十号証及び原告本人尋問の結果(第一回)中原告が売渡を受けた土地は合計一町歩余で昭和二十年四月から右を耕作し始めたとの部分とを綜合すれば原告は郡司もとを日雇として使つて合計一町歩余の買受土地を耕作していたのであるがもとは当時の瑞穂村の住民ではなく神崎町の住民であり、その夫は船大工を業として居り、もとの耕作反別は田六畝歩畑九畝歩で副業農家とも言い得ないものであつたので飯米に不足し昭和二十二年暮頃原告に懇請し本件土地を耕作し原告に対し原告名義で供出する米を提供して残余は飯米としたい旨申入れたこと、原告は農地に関する法律にうとく郡司もとを日雇として使つて行く為め同人の歓心を得んがため之に応じて昭和二十三年度、昭和二十四年度本件土地を郡司もとに耕作せしめたが、対価は徴せず、原告名義で供出した米代から原告が支払つた肥料代等を差引いた残額は手間代名義を以て郡司もとに返還したこと、ところが郡司もとは右方法によつては十分な飯米を取得し難いところから更に原告に自己名義で耕作して保留米を取得したい旨懇請した結果昭和二十四年十月中昭和二十五年一月一日から昭和二十六年十二月三十一日の期間に限り一時無料で本件土地の内別紙目録記載第五乃至第八を使用貸借する旨の契約を締結し供出を司る機関に対し右部分の耕作名義を郡司もととして届出で他の部分は従前通りにしていたこと、然るに昭和二十五年秋もとから村農地委員会に対し売渡処分当時、自分が本件土地の耕作者であるから原告に対する売渡処分を取消し自分において売渡を受けたい旨申出でたことを認めることができ、原告本人の供述(第一、二回)、証人郡司もとの供述(第一回)及び右により成立を認め得る乙第二号証中前記認定に反する部分はいずれもたやすく措信し難い。而して郵便官署のスタンプの存することにつき当事者間に争がないので其の他の部分の成立をも認め得る甲第六号証、成立に争のない甲第七号証、甲第十二号、証甲第十三号証、原告本人尋問の結果(第一、二回)を綜合すれば郡司もとは前記の如く別紙目録記載第五乃至第八の土地は期間を定めて一時使用貸借により借受けたのであるがその後に至り永く自己に耕作権がある旨主張して譲らないので原告は右土地その他の本件土地の返還を請求し右土地については改めて昭和二十七年二月中内容証明郵便を以て郡司もとに対し使用貸借の期間が満了したので土地を返還されたい旨通知して耕作する権利を回復し(使用貸借については期間の更新拒絶又は解除に被告の許可を要しないこと勿論である)本件土地全部につき原告主張の如き仮処分を受けて爾来本件土地その他合計一町歩余の農地を耕作して良好なる成績を挙げていること、昭和二十三年当時においても本件土地以外の八反歩余の農地については耕作に努力し供出義務を完遂している事実を認めることが出来る。以上の事実によつて考えて見るのに原告が昭和二十三年買受申込をする当時及び本件土地の売渡処分当時において本件土地を耕作していなかつたのは誠に遺憾であるが原告が郡司もとに本件土地を耕作せしめたのは前記認定の如く法規に対する無知と郡司もとの歓心を得んとしたことに基因する一時の過失というべく、原告が前記の如く現在農耕に好成績を挙げている事実及び昭和二十三年当時においても八反歩余の農地については農耕に努めていた事実に照らせば原告は昭和二十三年本件土地売渡処分当時においても経営土地全般について見るときは、十二分とは言えないまでも、なお農業に精進する見込がない者であつたと断ずることは出来ない。少くとも船大工の妻として田畑合計約一反五畝歩の土地を耕作し、本件土地は飯米を得るために隠れて耕作していたに過ぎない郡司もとの本件土地買収並に売渡当時において耕作の業務を営む者であつたとも言い難いのに比較すれば農業に精進する見込あるものであつたと言うことが出来る。固より当時における原告の農業に精進する程度は十分ではなく、原告及び郡司もと以外に農業に精進する者は本件土地所在村に沢山あつたこと勿論であるが、売渡処分を取消して全然本件農地に関係のない第三者に之を売渡さなければならぬとする程には原告は農業に精進する見込のないものであつたと云うことは出来ない、換言すれば本件土地の原告に対する売渡処分には之を取消さねばならぬ瑕疵はなかつたと云はざるを得ない。

よつて被告の為した本件売渡処分の取消処分は違法であるからこれを取消すべきものとし訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文の通り判決する。(昭和三三年一二月六日千葉地方裁判所判決)

(別紙目録省略)

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